乳幼児突然死症候群(SIDS)の経験をブログとして残します

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子供を亡くす

私は2022年に生後3ヶ月の我が子を亡くしました。
第二子です。

今回はブログという形で起こった出来事、当時の気持ちをを綴っていきたいと思います。

  • SIDSを心配している方
  • 同じ経験をした人

私の経験が少しでも誰かの役に立てたらという想いで書いていきます。

「生」と「死」

「生」と「死」は私の中で身近なものになった。
きっと私の年齢で「死」を身近に感じる人は少ないと思う。

人は簡単に死なない。

そう思っている人は多いと思う。

私も子供を失うまではそう思っていた。

いろいろな関係上、子供は二人と漠然と決めていた。
最後の妊娠、最後の出産だと思い、自分なりに楽しんだ。
二人目の子育ては大変ながらも一人目の時よりも気持ちに余裕があった。
これがいけなかったのだと思う。

「あの日」のこと

「あの日」あの子の呼吸が止まった。

いつも通り元気だったのに。

見るからに様子がおかしい。

ぐったりしている。

心臓の音を聞く。

え…
聞こえないとかありえるの?

そこからは無我夢中だった。

背中をたたいてみる。

げほっと息を吹き返すと思った。

変化なし。

え…
ありえるの?
こんなことが…

目の前に心臓が止まった人を見たことがなかった。

それも我が子。

何かの罰ゲームかと思った。

しかし、私はなぜか冷静だった。
次に何をしなければいけないかを考えた。

ベビー布団に寝かせ、ためらうことなく人工呼吸をした。

人工呼吸は学校などで何回か習ったことがあった。

まさか自分の子供で体験することになるとは思っていなかったが…

何回も何回も人工呼吸をした。

肺が膨らむのがわかった。

鼻からミルクが出る。

しかし全く反応なし。

今考えても、人生で人工呼吸を行う日がくるとは思っていなかった。

あなたは自分の子供に人工呼吸をすることを想像できるでしょうか。

こんなに辛いことはないだろう。

主人に心臓マッサージをしてもらった。

それを見て、これが現実なんだとやっと気が付いた。

吐き気がして、何度も吐きそうになる。

地獄の始まりだった。

人生で初めての救急車を呼び、人生で初めて救急車に乗った。

救急隊の人に心臓マッサージをされている姿を見て、涙と嗚咽が止まらない。

受け入れられない現実に気が狂いそうだった。

「死」

病院について、奇跡的に蘇生した我が子は、数日後に脳死と宣告された。

毎日毎日気が狂いそうで、「死」が頭をよぎった。

それは近い将来本当に死んでしまう我が子と、生きていくことが耐えられない私の葛藤。

入院中 顔をふいているところ

その後、我が子は旅立ってしまったけれど、同じような境遇の方に助けられた。
生きる勇気をもらった。

周りの人の言葉はいっさい響かなかったのに、同じく我が子を亡くした人の言葉は聞くことができた。

周りの人の励ましの言葉も、言った人は気づいていないが、私の心をえぐった。

良かれと言った言葉が人を傷つける。

乳幼児突然死症候群という死因になるには

そして乳幼児突然死症候群で辛いことのひとつが「解剖」である。

自宅で亡くなった場合、事件性も考え現場検証のために警察が入ります。
死因究明のため、解剖も求められます。
拒否権はないと思った方がいいです。

のどからへそまで、そして頭部も切られます。

そこで死因がわからなければ「不詳」とされ、乳幼児突然死症候群という結論に至ります。

突然死というショックも受け入れられないのに、解剖までされるという苦痛を味わわなければいけなくなります。

これがどれだけ辛い出来事なのか…

ベビーベットで寝ていなかったり、添い寝で寝ていた場合の突然死は乳幼児突然死症候群とは認められないケースもあるようです。

それからのこと

我が子を失ってから、私はどん底まで落ちました。

食事ものどを通らず眠れない
あの子のこと以外何も考えられない
生きていたくない

プライドが高い私は家族にも強がっていました。

「辛い」とは言えず、辛さはみせませんでした。

それがまた私を苦しめました。

SNSで我が子を亡くした人たちとつながることで、私は少しずつ前を向くことができるようになりました。

それから徐々に気持ちが新しい方向に向いていくことができました。

私の次の目標は「新しい子供がほしい」

それは新しい子があの子の生まれ変わりだとも、代わりの子だとも思いませんでした。

純粋に子供がほしいと思ったのです。

もちろんあの子のことは忘れません。

新たな「生」

数ヶ月後にありがたいことに妊娠することができました。

妊娠期間中は情緒不安定なこともあり、様々な葛藤がありました。

こんな私が子供を育ててもいいのか
あの子の代わりにしようとしているのではないだろうか
あの子を死なせてしまったのに次の子を求めてもいいのか

いろいろ考えました。

そして、「また死なせてしまったらどうしよう」

この不安が一番大きかったです。

それでも、「無事に生まれてきてくれたら今度は絶対に守る!!

という気持ちも強く、出産に挑みました。

そして無事に出産することができました。

遺骨ブレスレットを付けて、一緒に出産しました

今、私は幸せです

妊娠中の葛藤が嘘のように、毎日毎日幸せな気持ちで育児をすることができています。

なるべく不安は解消しようと思い、体動センサーを2個使いしています。

それでも息をしているか不安になり、確認することも多いですが…

乳幼児突然死症候群は原因不明といわれていますが、うつ熱(温めすぎ)やうつぶせ寝、喫煙など、様々な要因もあげられています。

うちはどれにも当てはまりませんでしたが、誰にでも、突然起こりうる可能性があります。

過度に心配しすぎることはありませんが、最低限の知識と対策は必要かなと思います。

この一年で「生」と「死」を経験した私は生きるということの大切さを知りました。

生きていることは奇跡で、当たり前のことじゃない。

一日一日を大切に生きようと思いました。

そして今、私は幸せです。

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